広辞苑には無数の言葉が溢れている。その中には、誰しもが抱える情けない過去や恥ずかしい思い出が蘇る言葉が沢山閉じ込められている。私はそんな言葉たちを探して切り絵を施し、過去の自分と向き合っている。消し去りたかった記憶も、大人になってから友人に話すことで「切ないねー」と笑ってもらえる。そこでようやく当時の私は救われるのだ。皆様にも、この作品達のように切なく笑って読んでいただけたら嬉しく思う。
《日本米》
小学5年生の夏、記録的な冷夏で米不足となり、日本米が高騰した。TVでは城南電機の宮路社長が大ブレイクし、不景気だった我が家は早々に外米を食べていた。外米が不味いという認識はなく、双子の妹が「日本米と全然違う!」と言っているのを聞いて、自分の舌は鈍いんだな、と悟った。そして何となく、家で外米を食べていることは友達には内緒にしていた。
ある日、家庭科の調理実習で1人1膳お米が必要となった。男子達が冗談で「外米なんか持ってくるなよ!」と騒ぐ中、私は1人焦った。どうしよう……。中が見えない袋に入れて持って行くか?米を研ぐ係になれば、隙を見て皆のお米と混ぜちゃえるかも?色々と策を練るも、ベストな答えが見つからない……。ズル休みさえ考えるようになった調理実習前日、とうとう同じ班の親友に打ち明けることにした。「明日、私は日本米を持ってこれない」。 覚悟の報告だった。すると親友は、翌日、私の分の日本米を用意してきてくれたのだった。泣ける。
大人になった今でも、タイ米を食べる度に胸の奥がギュッとなる思い出だ。