生活に携わる分野のものづくりをしている、作家・クリエイターの視点から、暮らしのかたちを考えるspiral market selection Interview。
第13回は、繊細なガラスパーツを用いて美しい植物のモチーフを描いた作品を発表している、ガラス作家の松下高文さんにお話を伺いました。
──心がわくわくすることだけをとことん掘り進めていく
小さい時から、漠然と絵を描く人になりたいって思っていました。
高校を卒業してからやりたいことが見つからず、しばらくアルバイトをして生計を立てていたのですが、21歳くらいの時に、目標を持って美大などに入った人は卒業をするくらいの歳だな、って考えてちょっと焦ったんです。青春時代って、自分がどうなりたいのか悩んだり、周りと比較して焦ったりしますよね。
僕はやはり美術に関することをしたいと思い、焼きものや彫刻、写真など自分にできることを探しているなかで、ガラスにピンときたんです。工芸的にも彫刻的にもつくることができるし、さまざまな技法もあって──相性ですかね、自分にはガラスしかないって直感したんです。
カルチャースクールに通ったりもしましたが、本格的に勉強をしたくて26歳の時に東京ガラス工芸研究所に入りました。入学してから2年間、基礎的なことを学ぶのですが、技術を勉強したい人は先生が作業をしている際の手の動きとか、タイミングを見ている、つまり技法的なところを観察しているんですね。僕の場合は技術的なことにはあまり興味がなくて「わー!綺麗だな。」とか「こんな事ができるんだ!」というガラスそのものを驚きと関心の目で見ていたので、卒業する頃には周りと技術にものすごい大差がついていたんですね。でも、この感覚はいまでもそのままなんです。僕には人を圧倒させるような技術がないかもしれませんが、心がわくわくすることだけをとことん掘り進めてきたので、技術についても自分のペースで少しずつ発見をすることの方が向いているのでしょうね。
──強い個性って、やり続けるなかで発見していくもの
作品の植物は描いたものではなくて、小さなガラスのパーツを組み合わせて植物をつくり、それをベースに付けるオリジナルの技法です。グラスやボウルなどは吹きガラスの技法で制作をしていて、息を吹き込むと、ベースと一緒に植物のパーツがふわっ、と広がって柔らかい表情がでます。でも、この技法でお皿をつくろうとすると、かたちとモチーフのバランスを取ることがとても難しくて──。
友だちにとても器用な人がいて、吹きガラスでもパート・ド・ヴェールでも、仕上がりは全部その人のテイストになるんです。個性の塊のような人で、僕もそうなりたいなって思っていて。もし、僕にも湧き出るような個性があるなら、技法を変えたとしても「松下さんだね」って言ってもらえる作品ができる筈だと思うんです。そこで思い切ってお皿をつくるために技法を変えてみようと思ったんです。
試行錯誤を繰り返して、いまのかたちになりました。技法を変えたことでモチーフの緻密な表情をだすことができるようになったんです。これまでの作品を知っている人が見ても自分の作品だと感じてもらえるものができたと思っています。
きっと、強い個性って、やり続けるなかで発見していくんですよね。人とはちょっと違うことをやりたい人って、教科書に載っていないことに興味を持つので、自分でたくさん実験をしないといけない──でもひとつずつ成功したことを積み上げていったらいいんですよね。個性的な作品をつくる人たちは、そういう過程を苦とは思わないのでしょうね。僕もそういう人たちに近づくことができれば、って思っています。
──キャンバスのサイズを選ぶように
お皿やカップなら、きっと、もっとシンプルな方が使いやすいだろうとも思うところもあって──自分の作品はかなり加飾をしているので、実用から離れた個性の押し売りなんじゃないか?って考えることもあるんです。装飾をしたければ別のかたちにすればいいのではないか?器であるなら同じものを継続して沢山つくることができる安定した技術が必要で、それは僕には無いものだから──そういうジレンマを抱えながら制作をしているので、使いやすいお皿をつくっているという感覚ではないですね。結果、お皿のかたちをしたものだけど、豆皿から大皿まで様々なサイズのお皿をキャンバスと捉え、そのキャンバスのサイズに合わせて加飾をしている、そんな感じですね。
──規則正しさのなかから生まれるもの
平日は毎日、朝9時から夜の6時くらいまでは工房にいます。調子が悪くても、気分がのらなくても、工房にこの時間からは必ず行くと決めています。身体を向けるんです。そこで掃除してもいいし、ぼーっとしていてもいいし。習慣づけることが大切で、規則正しさのなかから生まれるものってあると思うんです。
工房は自分の仕事場として集中をするための場所ですし、危ない道具もあるので基本的に家族は立ち入りません。でも、休日に子どもと過ごすなかで発見やインスピレーションを得ることが多くあります。いま、小3と小1の子どもがいますが、一緒に散歩をしていると子どもの頃を思い出したり──子どもの目線になってみると、彼らには目の前の草むらも、ものすごく大きいものとして見えているのだと再確認するんです。僕も幼い頃に同じ様に感じていただろうし、そういう体験から作品のシリーズに「みあげる景色」というタイトルを付けたりもします。
将来、自分がこうなりたい──例えば、お店を出したり、事業として拡大したいなどというものは無くて。昔から自分自身の将来を想像することが苦手です。ただこれからもこの仕事を続けていきたいと思っています。自分自身のこととは別に、こうなればいいな、っていうのは──僕の子どもがいつか僕の仕事に興味を持ってくれて一緒に仕事ができるといいな、って思ったり。こういう仕事って一代限りですよね。でも、町のお豆腐屋さんやおまんじゅう屋さんと同じで、僕の二人の子供の中から二代目が現れるようになればいいなって想像したりもしますね。
インタビュー&編集/スパイラル