広辞苑には無数の言葉が溢れている。その中には、誰しもが抱える情けない過去や恥ずかしい思い出が蘇る言葉が沢山閉じ込められている。私はそんな言葉たちを探して切り絵を施し、過去の自分と向き合っている。消し去りたかった記憶も、大人になってから友人に話すことで「切ないねー」と笑ってもらえる。そこでようやく当時の私は救われるのだ。皆様にも、この作品達のように切なく笑って読んでいただけたら嬉しく思う。
《ミスター》
中学2年生の夏、私は英検の二次試験の面接会場に来ていた。廊下で順番を待っている間、「一言でも日本語を発すると不合格らしい」「外国人の面接官に当たると大体落とされ る」等、真偽不明な噂を耳にしては無駄に緊張していた。しかも周りの生徒達は皆、びしっと制服を着ており、夏休みだからと、私服で来ていた私は少し浮いていて居心地が悪か った。
いよいよ私の名前が呼ばれ、教室に入った。面接官は白髪の日本人男性(よかった!優しそうな爺さんだ)。英語で自分の名前を言い、椅子に座ると、面接官は私を見てこう言った。
「Hey, Mr.Tanaka」
当時、私は鈴木蘭々に憧れており、ベリーショートにポロシャツとジーンズという、ボーイッシュな格好をよくしていた。しかもテニスで真っ黒に日に焼けていて、極め付けは"マコト"という名前。今思えば男と思われる条件が揃いすぎていたが、思春期の私にはダメージが大きかった。
「失礼ね、私は女よ、面接官さん」。そんなこと英語で言えるはずが無い。咄嗟に出た言葉は低い声で「……yes」だった。面接官の所までガニ股で歩き、ぶっきらぼうにプリントを受け取る。喉の奥を絞り、低い声でプリントに書かれた英文を読み上げ、かったるい感じでお辞儀をした。自分の中の偏ったイメージの"男"を演じきった。英語なんて二の次だった。
なんとか面接を終え、帰り支度を済ませトイレに寄ろうとしてハッとした。女子トイレに入るところを誰かに見られたら……女だとバレる!私は尿意を我慢して試験会場を飛び出した。そして全速力で駅のトイレまで走った。
英検は無事合格した。
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日本米