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石本藤雄展 特別寄稿

運が動く

森田真生

石本藤雄《Suiden (水田)》、シルクスクリーンプリント

古代の幾何学者たちは、作図によって「線」を描いた。このとき、点と点を結ぶ動きが、作図の最も基本的な動作だった。もちろん、幾何学が扱うのは作図によって描かれる実際の線ではなくて、あくまでそれらが代弁している数学的な線だ。

実際、ユークリッドは『原論』の冒頭で、「線とは幅のない長さである」と定義している。人間の描く線には必ず幅があるから、幾何学が対象とする線や形は、現実には決して存在し得ないということになる。

理想化された幾何学の直線は、二点を決めれば、必然的に一つに定まる。そうであることしかできないのが「必然」なのに対して、 そうでないこともできるのが「偶然」の核心だと語ったのは哲学者の九鬼周造である。必然に支配された幾何学の線に対して、人間の描く線は、いつも偶然に晒されている。

線を一つ描くということは、無限の可能性を孕んだ白紙の上に、無限分の一の可能性としての線を、一つ、現実化させていくことである。幾何学の線が、永遠に堅固な必然であることしかできないのに対して、人間の線は、そうでないこともできた可能性として、いつも偶然をさらけ出している。 古代ギリシアの幾何学は、天体や物質の動きを記述し、予測していく試みのなかで、新たな生命を吹き込まれていく。やがて、近代の微積分学や力学として、それは開花していくことになる。数式の計算を通して自然の原理を計り知ろうとする近代ヨーロッパで育まれたこの営為は、計り知れないものたちの存在を、少しずつ宇宙から締め出していくことになる。

哲学者の古田徹也は、著書『不道徳的倫理学講義』のなかで、「自他の生活に深く影響を与えながら自分には予期やコントロールができない、計り知れない働き」として「運」という概念の把握を試みている。近代の力学は、人知を超えた「運」を、万物の「運動」を理解するための枠組みから切り離していった。こうして、人知によって把捉可能な純粋な「動(motion)」の世界として、宇宙が数学の言葉で描き出されていくことになる。 だが、人は依然として深く偶然にさらされた存在である。理性の力で宇宙をどこまで必然で染め上げようとしても、運は、人を翻弄し続けるのだ。白紙と向き合い、線や、形や、風景や、言葉を生み出していこうとするとき、否応なくこの事実と直面することになる。 幅のない必然の線を描くことができない私たちは、それでも渾身で、偶然の線を描くことができる。宇宙の一隅に佇む力弱い存在にすぎない私たちは、だからこそ偶然の渦中で、必然を仰ぎみることができる。

白紙の上で、運が動く。 線が、形が、言葉が生まれる。 不完全な生命の運動の軌跡は、偶然のうちに、必然の形象を暗示している。

森田真生(もりた まさお)
1985年、東京生まれ。独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、独立。現在は京都に拠点を構え、全国各地で「数学の演奏会」や「大人のための数学講座」などを行なっている。2015年、初の著書『数学する身体』で、小林秀雄賞を最年少で受賞。他の著書に『数学の贈り物』、編著に岡潔著『数学する人生』がある。

EXHIBITION

石本藤雄展 ─マリメッコの花から陶の実へ─

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