広辞苑には無数の言葉が溢れている。その中には、誰しもが抱える情けない過去や恥ずかしい思い出が蘇る言葉が沢山閉じ込められている。私はそんな言葉たちを探して切り絵を施し、過去の自分と向き合っている。消し去りたかった記憶も、大人になってから友人に話すことで「切ないねー」と笑ってもらえる。そこでようやく当時の私は救われるのだ。皆様にも、この作品達のように切なく笑って読んでいただけたら嬉しく思う。
《先輩》
大学卒業後、TVCM制作会社で働いていた時のことである。私はとある先輩との関係に悩んでいた。その先輩は入社間もない私に「お前が今まで出会った人の中で、俺が一番面白い」と言う人だった。私は、その先輩の“笑い”に対する確固たる自信に、何も言い返せないでいた。
ある日、クライアントとの食事会にその先輩と参加することになった。趣味の話になり、クライアントの1人が「僕はヅカファン(=宝塚ファン)です」と答えた。“図鑑ファン”だと聞き間違えた私は、「花とか星とか、何でも良いんですか?」と質問した。「えっ、タナカさんも好きなの?!」。
奇跡的に話が噛み合ったのだ。
「詳しくはないですけど、虫はよく見てました」と答えた瞬間、「虫組なんて無いよ!」と大笑いされた。上司からも「タナカ~」と突っ込まれ、場が盛り上がる中、先輩だけは首を傾げていた。
帰り道、前を歩く先輩が「あれさ……わざとでしょ」と不機嫌そうに言って来た。「ああいう笑いはいらないんだよ。お前に求めてないから」と振り返り、「大丈夫だよ。俺がお前を面白くしてやるから」と、満面の笑みで肩を叩かれた。
数ヶ月後、色々なことが重なり、私は会社を辞めた。
次の就職先も決まっていない不安定な状況の中、私は久しぶりにハサミを持って切り絵をした。覚悟なんて無かったけど、絶対的な自信を持っていた先輩を思い出し、妙な勇気をもらった。そして1ヶ月後のアートイベントに出展することにした。これが切り絵作家としての第一歩だった。