Mon.
生活に携わる分野のものづくりをしている、作家・クリエイターの視点から、暮らしのかたちを考えるspiral market selection Interview。
第8回は、インスピレーションから広がるイメージをもとに、装身具をはじめ革小物などさまざまなアイテムを制作しているmi’ndy(ミンディー)として活動をするフクシマミキさんにお話を伺いました。
──表現のきっかけ
今やっていることは小さい頃からずっと変わらないかもしれません。
絵を描くことやつくることが大好きで、芸術コースのある高校に入り、油絵、デザイン、陶芸など美術三昧の楽しい日々でした。その後、美術大学に入学し、ひょんな出会いから飴屋法水さんのスタッフとして携わることになりました。
彼の劇団を高校生の時に観て衝撃を受けたのですが、解散し、飴屋さんがちょうど現代美術を主に活動しはじめていた頃でした。都会の廃墟の倉庫のアトリエでインスタレーションや舞台装置の作品を自分たちで探求しつつ造る刺激的な日々でした。溶接で鉄のオブジェ、グラフィックも任され、大学時代は現代アートがピークだった現場を幅広く体験させて頂きました。
飴屋さんの活動の根底には人間のこと、生命のことがあって──何かをつくろうとしているのではなく、フラットな目線で、あるがままを作品提示しているんですね。ブレないまっすぐさ、独自の感性、物事を突き詰めていく姿は今の私の活動の軸にもなっているのかもしれません。
大学卒業と同時に飴屋さんのところも一旦離れ、父が倒れたこともあり介護をしながらできるフリーランスでグラフィックの仕事を多く受けていました。求められることをこなす、立ち止まれないような日々でした。父の姿、周りの友人に同時期に生まれてくる命の連鎖、かたや若くして星になっていく友たちの重なりが続いたこと。いろいろ身近に起きる濃い経験の時期でしたが、哀しいことも、不思議なことも、偶然の重なりも、必然的なメッセージなのかも──暗いことではなく、もしかしたらその先に何か光のようなものがあるのかな?とふと思ったのです。
2011年の東日本大震災をきっかけに、改めて根源的なことに目を向けた表現をはじめようと決めました。
──いま在ることをかたちにする
例えば、7つの曜日をテーマにしたときは、なぜ私たちは「月・火・水・木・金・土・日」という7種類の日を当たり前のように繰り返しているんだろう?と思ったことから始まりました。それぞれのエレメンツや天体と、私たちはどう関わっているのだろう?
気になるキーワード、出会いのご縁からから連想ゲームのようにつなげていく──。またはとことん対象物に向き合ったり、自然に委ねると、不思議なもので「近々、金環日食がある」などテーマに繋がる情報が偶然に入ってきたりして、タイミングやいろいろな点や線が繋がって一つのかたちになっていくんです。ものがたりのようにシンクロしていく。それは、過去と未来と、今わたしたちが此処に在るということを愉しんでいるのだと思います。
私はインスピレーションを求めて何かを探す、ということはしませんが神社や教会を訪れます。日が昇ったばかりに行くと、人気もなくて気持ちいいですし、私は無宗教ですが、共通するどこか異界のような神聖な空気が落ち着きます。また散歩が好きで雲のかたちや星をずっと眺めていたりします。
──Spiritを感じ身につける
イマジネーションの世界を形にしたいという前提に表現を自由に開放したいとも思っていて、ひとつの技法に固執しないものづくりをしています。
音や香り、五感で体験するような空間やライブの演出と、ボーダレスに広がっていくのです。観る人それぞれに、何かのきっかけになれば、という思いもあり、暮らし・生き方に直結するアートピースとしてのアクセサリー、バッグ、身につけるものに展開しています。
朝起きて、今日はどんな気分か、誰と会うか──着るもの、身につけるものを選ぶことは、氣を演出するようなものだと思います。身につける作品も年月で変化していく。壊れてしまうこともあるかもしれないけれど、それも含めたコンセプトだったり。
実際に着けてくれる人も、無意識に選んだものが、その人の今の状況にピッタリはまっていたり。不思議ですね。持つ人とリンクし、育っていく。それは装飾的なことだけではない、装身具のようなもの。
展示空間も、天気やその時の空気で会期中に変化させていくことは多いです。じぶん、近しいだれか、にんげん、この地球という星、宇宙、そしてまた内側への循環をよく感じます。多種多様で愛おしいこと。闇も光も尊く美しいこと。そこに祈りがあり、希望がある。そう信じて これからも今ここに在ることを尊ぶような表現を続けていけたらと思います。