広辞苑には無数の言葉が溢れている。その中には、誰しもが抱える情けない過去や恥ずかしい思い出が蘇る言葉が沢山閉じ込められている。私はそんな言葉たちを探して切り絵を施し、過去の自分と向き合っている。消し去りたかった記憶も、大人になってから友人に話すことで「切ないねー」と笑ってもらえる。そこでようやく当時の私は救われるのだ。皆様にも、この作品達のように切なく笑って読んでいただけたら嬉しく思う。
《バブル》
中学生の頃、実家を出る姉の荷物整理のお手伝いをしたことがあった。片っ端から思い出の品を処分していると、タンスを開けた姉が発狂した。
「インカレテニス部のX'masパーティーの時の服だ……」
そこには肩パッドの主張が激しい千鳥格子柄の派手なスーツがかけてあった。「ギャッ!写真も出てきた!」。咄嗟に隠そうとした姉から写真を奪い取り見ると、ソバージュヘアに真っ赤な口紅をした姉がイケイケの仲間達とご機嫌に映っていた。爆笑する私に「バブルの時はこれがイケてたんだって……」。姉は力なく呟くと、スーツと写真をまとめてゴミ袋に捨てた。
それから月日は経ち、私は結婚をし、妊娠した。安産祈願をしに水天宮に行くため両親を誘った。夫と待っていると、颯爽と現れた母トシエの姿に驚愕した。あの時、処分したはずの千鳥格子柄のスーツを着て来たのである。
「トシエ!その服……」「あ、これ、お姉ちゃんの」。
母トシエは物が捨てられない人だった。バブル時代、ちょっとは贅沢する余裕があった時でも、トシエだけはブレずに堅実だった。自分のためにお金を使って欲しいと言っても「私はいいの」と遠慮する人だった。
「服ならこないだ贈ったのがあるでしょ?」「これが良いのよ」。夫がフォローするように「お似合いですよ」と言うと、トシエは照れ臭そうに肩パッドを揺らして笑った。
そんなトシエが先月亡くなった。遺品整理をする為、実家に帰り、タンスを開けると、昔、私が処分したはずの服が沢山出て来た。最後の最後まで健気だったトシエを思い、私は声を上げて泣いた。これがトシエなのだ。改めてそう思った私は「しょうがないなぁ」と言って笑った。