SPIRAL

Where Creativity Comes to Life

SICF25 グランプリ Special Interview 前編

Mona Sugata × 石関亮

Art & Exhibition

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Photo:Kimiko Kaburaki

「Tree of life -A planet of playing beings 遊ぶ生命たちの星-」

スパイラルガーデンに現れた「生命の樹」。

昨年SICF25*EXHIBITION部門でグランプリに輝いたMona Sugataによる展覧会、

「Tree of life -A planet of playing beings 遊ぶ生命たちの星-」が先月25日、好評のうちに幕を閉じました。

 

生命をつなぐ強さや美しさを、花や葉を組み合わせ表現するアーティストMona Sugata。

今回、KCI(京都服飾文化研究財団)のキュレーター・石関亮が作品を実際に鑑賞し、対話を通じて、「生命の樹」に込められた思いを紐解きます。

SICF

SICF(スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバル)は、「スパイラル」が若手作家の発掘・育成・支援を目的として2000年から開催しているアートフェスティバル

「祈りの対象」としての生命の樹

—「Tree of Life」(生命の樹)をテーマにしたきっかけがあれば教えてください。

Sugata:昔から命を「看取ること」が多い影響 か、幼い頃から「命って何だろう」と考えることが多くて、「死んでしまっても残るものがある」ということをずっと感じていたんです。それからいろいろと本などを読んで、「目に見えない存在」にフォーカスしていくようになりました。

もともと「Tree of Life=生命の樹」には、宗教や国によっていろいろな見解があり、さまざまなかたちがあります。自由度が高いモチーフなので、私の感覚の「生命の樹」をつくりました。全てのエネルギーが総合的に関係しあい、そして助け合って私たちは存在している、という「命の強さ」。
それが今回表現したかったことです。

《Tree of life》(2024) SICF25 EXHIBITION部門 グランプリ受賞作品 Photo: TADA(YUKAI)

石関:昨年出展したSICF25では、どのような作品を展示されたんですか?

 

Sugata:花をモチーフにした作品です。根っこが手になっていて、根には陶器を使って骨のような硬質な素材でつくりました。顔もついていて、摩訶不思議な雰囲気をつくり出しました。

 

石関:植物と動物の合体のようですね。

 

Sugata:私はずっと「祈りの対象」をテーマとしていて、すべてシンメトリーで作っているんです。アニミズム的な考え、「自然信仰」に美しさを感じていて、それを対象とした「祈るもの」をつくってみたいな、と。顔がついていたり、見上げて何かを感じるような・・・。

自分の生命とシンクロさせる感覚を持ってもらえればいいなと思っています。

 

石関:まさに「木」そのものですね。建物もそうですけど、木や山などの信仰の対象って、見上げることによって気持ちが浄化されたり、自分とは違うものを感じたり、そういう部分があるんでしょうね。

木自体が生命のイメージじゃないですか。

「生命の樹」って「世界樹」という言い方をされたり、色々な文化で見られます。イメージも「生」があれば「死」もあり、そして「再生」もあり、さまざまな捉えられ方があります。それは、木や山がどんどん大きくなっていく様子を私達人間は目の当たりにしているし、冬に枯れて春には再生するという季節を通じた生命の循環も感じられるからだと思うんです。

 

Sugata:そうですね。壮大な景色を見ると、そこに自分を投影しますよね。

結局は「自分を探したい」という行為でもあるのかな、と。木は、小さな芽からどんどん大きくなって、そのあとは実をつけたり、他の生物に何かを供給したりするようになる。

例えば、下に生えている植物に水が足りていなかった場合、根っこからそれを感じ取って、自分の養分を分け与えている、ということもあるそうなんですよ。

「見上げる」ことは、そういった生きるための理想を探す、自分もこうありたい、こうあろうということを眺める行為なのかなと思いますね。

 

石関:木は「成長する」イメージがあります。Monaさんの、花から始めて、木になっていくというクリエーションのプロセスも重なります。そういう意味では、自分の人生、あるいはそれだけではなく、見る人の人生ともシンクロさせることができるのかもしれません。

 

「LOVEファッション─私を着がえるとき」 東京オペラシティ アートギャラリー 2025年4月16日~6月22日 撮影:スパイラル

「まとう」対象としての植物

石関:服飾において、植物は装飾の素材としての長い歴史があります。

KCIが手がけた展覧会『LOVEファッション–私を着がえるとき』を企画する時に、人間が服を着る中での根源的な装飾のモチーフって何だろう?やはり植物なんだろうか?ということを考えたんです。紐解いてみると、古代から装飾として花は使われています。花は身近にある綺麗なものの象徴であり、身を包み、まとう「美しいもの」として植物の柄が用いられているんです。それはヨーロッパだけでなく、古今東西で。

「生命の樹」も、装飾のモチーフとして時々出てくるんですよ。有名なところだと、インド更紗とか。木の枝でどんどん分かれていくことで、柄に変化を与えると思うんです。花柄だと、どうしても単調な繰り返しになってしまうじゃないですか。木は、幹があって、枝があって、そこからまた花が出て、葉っぱが出て、その先にまた…

 

Sugata:ストーリー性がありますよね!

 

石関:そう!そうですよね。たぶんデザインする側も熱中したと思うんですよね。そうやってイマジネーションがどんどん広がっていく存在として「木」があるのかなと思います。

 

Sugata:つくっていてもそう思います!終わりないストーリーでありながら、何にでも通じる「幹」があるというか。やっぱり幹があるからこその強みだと思います。

 

石関:根っこも広がりますしね。

 

Sugata:幹と根っこ、ふたつの世界があるんですよね。木は、その両方に広がっていく世界を眺めている存在なんだと思います。

 

石関:神話の世界でも「生命の樹」はモチーフとしてよく登場するんです。地下にも天上にも広がって万物を眺める存在だからなんでしょうね。

 

Sugata:植物っていうのは眺められる存在でもあるし、それを「まとえる」なんて最高ですよね!

 

石関:「まといたい」からこそ、服飾の中で「花柄」や「造花」が登場したと思うんですよね。

もともとは自然の花を飾ることから始まったと思うんですけど、やっぱり生花だと長くは持たない。そのはかなさに惹かれる時もあるんですけど、ずっと身に着けていたいとか、季節を問わずに好きな花を飾りたいとか、人びとの願望やイマジネーションが膨らんで造花が広がっていったんじゃないかな、と。

 

Sugata:『LOVEファッション』展を拝見したんですが、第一部の「生き物を纏う」に、剥製や異なる種の鳥の羽を組み合わせたオリジナルの羽を用いたアイテムが展示されていて。見方によっては残酷だと思うのですが、やっぱり人って自然が大好きなんだな、と。その美しさとどうにかして一緒にいたい!という欲求が理解できたというか、共感しました。

 

石関:歪んだ愛情のような、ね。

 

Sugata:偏執狂的にはなってしまうのですが、それでもやっぱり美しい。多くの人が、鳥の羽も生の花も身につけたいと感じたことはあると思うんです。自然の美しさに憧れ、それと共に生きたい、という感情はとてもわかりますね。

 

石関:10年ぐらい前に出た写真集で、アフリカのエチオピア南部に住んでいる民族の衣装を撮影した「ナチュラル・ファッション 自然を纏うアフリカ民族写真集」(2013)という本があるんです。通常の服ではなく、特別な行事の時の衣装が中心なんですが、生の植物をまとって、化粧をして、ある意味原始的なんですけど、それがめちゃくちゃ綺麗なんですよ。

 

Sugata:現代に限らず、「まといたい」というエネルギーと配置のセンスがすごいですよね。なぜここに黄色い花をつけようと思ったの?とか。それは、人間的・動物的感覚なんでしょうか。

 

石関:「飾りたい」という欲求と、飾る時に繰り返したいろいろな試行錯誤が積み重なって、民族の文化として残っていくのかなと思いますね。

面白いですよね。私が言うのはなんですが、ハイブランドだけがお洒落じゃないというか。

 

Sugata:本当に!一方で、私はハイブランドにすごく憧れがあって。メティエダールとか、いつか本物のショーを見てみたいなと思っています。人間の、行き着くところまで行った技術ですよね。

 

メティエダールコレクション=シャネルが発表した、アトリエの卓越した職人技を讃えるショー。

 

細かな積み上げがつくりだす美しい世界

石関:結局、服作りもですが、最も基礎的な単位から始まります。

絹や羊毛から糸を作り、草花で染めて、手で丹念に織っていって、織物にして、服を作った後にさらに細かい装飾を付けてひとつのものを作り上げていく。この工程を、時間で捉えるととても膨大じゃないですか。

しかもそれが何人もいらっしゃるわけだから、人数×時間で言ったら本当に途方もない。その細かな作業の積み上げが、美しいものをつくりあげるというか。

 

Sugata:芸術ですね。

 

石関:芸術ですよね!やっぱりそれは木も同じで、どんどんどんどん成長していって大きくなるし、山だって小さなところからどんどん盛り上がって。

 

Sugata:同じエネルギーで色々な表現があるなと思います。感慨深いですね。

 

—Monaさんは、美大で版画を学ばれた後、ジュエリーの「文字彫り職人」のお仕事をされていましたが、最初からそういう細かい技術にご関心があったんですか?

 

Sugata:勉強していたけど、実はそこまで木版には興味がなかったんですよ(笑)。学生時代、シャネルの映画を見た時に、衝撃で全身が震えたんです。こんな世界があるのか!と。それでファッションの職人とか、華やかな世界の裏側を支えることに、ものすごく憧れが出てきて。

そんな時にたまたま、ハイジュエリーブランドの「文字彫り職人」の求人が出ていたんです。そこから10年くらいずっと、ひたすら手彫りで文字や文様を掘っていましたね。

 

石関:リングとか、ネックレスとかバングルとか?

 

Sugata:そうですね。あらゆるジュエリーを。

面白かったですよ。そこで忍耐が培われたんです(笑)。葉っぱをつくるのがとても楽しかったですね。

 

石関:そこから造花の方に?

 

Sugata:やっぱりオートクチュールのドレスにつける布花にすごく憧れていたので。

コテを独学で勉強して、布の変なお花を作り始めたのがきっかけです。

オートクチュールには、専門の造花職人がいて、ドレス装飾のすごく重要な要素になっているんですよね。

 

石関:オートクチュールは、昔ながらの伝統として、全て職人による分業制です。それぞれがそれぞれの専門の中でパーツをつくり、完成されたパーツがアセンブル(合体)されてドレスになって……というような世界。それぞれ全く別々で、職人同士が交わることもないのに、最後は綺麗にハーモニーを奏でるってすごいですよね。

 

Sugata:「アセンブル」って本当に好きな言葉です。プロとプロが何人もの過程を経てできあがるものの輝きってすごいんですよね!ひとりでできない仕事って壮大で、憧れます。

 

石関:職人さんの行うひとつひとつの作業って、ある部分では同じことの繰り返しだと思うんですけれども、そこに飽きは来ないんですか?

 

Sugata:飽きは……あるんです。あるんですけど、でも飽きるってことは、自分に余白がある。

簡単にできちゃうからこそ飽きる。だったらその先に行こうと思っていて。

 

石関:おお、すごい!

 

Sugata:職人だとよくあることなんですが、自分ひとりが抱えている工程の中でもセンテンスがあって。「この部分は苦手だな」という部分を、飽きた時に突き詰める。だからいくらでもチャレンジすべきポイントはあるんですよ。

「祈り」のような、感覚のみでつくりだす。

石関:同じ作業をずっと続けている中でも、没頭している瞬間って多分にあると思うんですよね。これはちょっと強引かもしれませんが、ある部分では「祈る」とか「メディテーション」に近いような気もするんですけど、どうですか?

 

Sugata:実は、今回の葉っぱをつくる作業は完全に「メディテーション」でしたね。90本葉っぱがあるんですけど、まさに、気持ちよくなっちゃうという作業でした。大きな木をつくるのは時間をかけるので、「ああでもない」「こうでもない」という(余計な)気持ちが入ってしまうのですが、単純作業はまさに恍惚というか(笑)。

文字彫りでも同じで。すごくマニアックな話になってしまうのですが、例えば、アルファベットの「A」の筆記体って、太いところと細いところがある。太いところはものすごく気をつけて掘らなきゃいけないので、ぼーっとしていられないんです。でも細いところは、太いものに一本一本を繋げていく作業で、力を全く入れずに回して彫っていけるんです。それはもう「メディテーション」という感じで、無意識の、感覚のみの行為というか・・・。体が勝手に動くのでストレスもなかったです。

 

石関:そういう経験があるから、「祈り」につながるのかもしれませんね。

統計をとっているわけではないですが、私が最近関わるアーティストやデザイナーは、クリエーションの中に「祈る」行為を内に持っている方が多い印象があって。

『LOVEファッション』展で出品していただいているリュウノスケオカザキというデザイナーさんも、「祈り」というテーマの作品をシンメトリーでつくっていて、先ほどMonaさんの展覧会のテーマを聞いた際は驚きました!

日本って宗教があまり生活に密接していないし、普段「祈る」という行為自体もしない。そんな現代社会において、どちらかというと宗教を原始的な存在として捉えがちな世代の人たちが、ナチュラルに「祈り」という言葉で括れるというのは、格好良いなと。

「死」も「生」も自分と隣り合わせであり、自分の中の感覚のひとつ

Sugata:やっぱり最近起こっている災害は無視できないですよね。アーティストだと、ボランティアに行く方々も多い。そういう「死」に対して向き合う意識とか、シチューションが多いのかもしれません。

 

石関:先ほど命に関わる経験が多かったとおっしゃっていましたね。

 

Sugata:そうですね。考える回数が多いとやっぱりそうなりますね。意識の回路が。

 

石関:報道などいろんな面で「死」や「生」に関する話が入ってくるけれども、それをなんとなく「ニュース」としてでなく、リアルに捉えている人たちも多いんでしょうね。ボランティアに行くっていうのもまさにリアルに捉えているからこそ、アクションを起こせるんだと思います。

 

Sugata:受け入れるだけでなく能動的に、「死」に対して前向きというか。自分は何を考えて生きていくんだと、自然に行動できているのかもしれませんね。

「死」というのは、そのうち訪れる出来事ではなくて。ともに死を眺めながら、生を眺めながら、隣り合わせで生きていく。自分の中の感覚のひとつであり、なんの抵抗もないということがあるのかなと思います。

恐れなくていいというか。死んだ後も、感情とか感覚的な部分の影響って多大だと思っているんですよ。血も繋がってない知らない人にも、すーっと入っていって、何かのきっかけとして残っていく、受け継がれていくものだとずっと思っているんです。肉親じゃなくても、きっと意思とか、「楽しかった」「嬉しかった」という感情も残り続けると考えていて。

そういうのを眺めながら、感じながら生きていくことができたら素敵だなと思っています。

後編はこちら

Mona Sugata

1983年東京都生まれ。2009年多摩美術大学絵画専攻版画研究領域博士前期課程修了。

古来から続く“生命としてのわたしたち”として、植物、虫、人間などあらゆる生き物の繋がりや流れを見つめ、いのちを繋いでいく営みの強さや美しさを、花や葉を組み合わせシンボリックに表現する。

受賞歴に、「SICF25」 EXHIBITION部門グランプリ(2024)。
主な出展歴に、個展「GRASSLAND」(2024/FALL /東京)、企画展「Sunlight in windows」(2023/AOYAMAHÜTTE/東京)、「Green Constancy」(2024/六本木蔦屋書店/東京)、「ART SESSION」(2024/銀座蔦屋書店/東京)など

石関 亮(いしぜき まこと)

京都服飾文化研究財団キュレーター

京都大学大学院修士課程修了。2001年より京都服飾文化研究財団に勤務。2011年よりキュレーター。2015年より、学芸課課長を兼務。展覧会「LOVEファッション―私を着がえるとき」「ドレス・コード?―着る人たちのゲーム」の共同企画の他、「Fashion in Colors」「ラグジュアリー」「Future Beauty」等のファッション展の企画・運営に参画。研究誌『Fashion Talks…』編集、現代ファッションを担当。