広辞苑には無数の言葉が溢れている。その中には、誰しもが抱える情けない過去や恥ずかしい思い出が蘇る言葉が沢山閉じ込められている。私はそんな言葉たちを探して切り絵を施し、過去の自分と向き合っている。消し去りたかった記憶も、大人になってから友人に話すことで「切ないねー」と笑ってもらえる。そこでようやく当時の私は救われるのだ。皆様にも、この作品達のように切なく笑って読んでいただけたら嬉しく思う。
《葬式》
今年、桜の散る季節に母トシエが亡くなり、家族のみで葬儀を行った。前日、娘が保育園で濃厚接触者となったため、夫と娘は欠席。私1人で葬儀に出席した。
葬儀の最中、トシエとの色々な思い出がよみがえった。私は末っ子だったこともあり、トシエは友達のお母さんより随分年が上だった。そのため小さい頃から「他のお母さんより早く死んじゃう」という不安を抱いていた。友達ができるとお母さんの年齢を確認するというちょっと厄介な時期もあった。そんなことを思い出しながら、目の前のトシエに「本当お疲れ様。ありがとうね」と声をかけた。
しんみりした空気の中、夫から1通のLINEが入った。
「今、病院。娘、コロナだったよ」
一瞬、その衝撃的な文面に頭が回らなかった。「……えぇぇっ!!」。私は濃厚接触者となってしまった。
どうしても納骨まで見届けたかった私は、姉達に懇願し、自主隔離しながら参加することを試みた。火葬を待つ1時間半、会場の裏の外のベンチで一人で待機していると、面白がって甥が様子を見に来た。「見世物じゃねぇ!近づくな!」と声を上げる私に、遠巻きに見ていた家族は失笑。同情入り混じる皆の笑顔が切なかった。
収骨の場面では、スタッフに事情を説明し、私は外から参加した。ガラスの反射で部屋の様子がよく見えず、手で視界を確保しながらジロジロ覗く私を見て、姉は「あそこに招かれざる客がいるよ。父の愛人かな」と言い、皆が笑った。私は何が可笑しいのか聞こえなかったが、皆に笑顔で手を振った。
葬儀が終わり自宅に戻った途端、一気に高熱が出た。喉の激痛でコロナだと確信した。なんとか葬儀に参加できたことは唯一の救いだったが、このあと高熱で5日間寝込むこととなった。