広辞苑には無数の言葉が溢れている。その中には、誰しもが抱える情けない過去や恥ずかしい思い出が蘇る言葉が沢山閉じ込められている。私はそんな言葉たちを探して切り絵を施し、過去の自分と向き合っている。消し去りたかった記憶も、大人になってから友人に話すことで「切ないねー」と笑ってもらえる。そこでようやく当時の私は救われるのだ。皆様にも、この作品達のように切なく笑って読んでいただけたら嬉しく思う。
《窓ガラス》
中学3年生の春、新たに数学の教師が赴任してきた。授業が丁寧で分かりやすく、生徒たちからは親しみを込めて「ジュンジュン」と呼ばれていた。
そんなジュンジュンの授業を受けていた時のこと。突然、ピーピーと音が鳴った。ジュンジュンはチョークを持つ手を止め振り返ると、
「流行りのたまごっちですか?犯人探しはしませんから音を消しなさい。」
と呼びかけた。持ち込み禁止だったたまごっちを見逃してくれたジュンジュンの優しさに、私たちの好感度は益々高まった。しかし数分後、またピーピーと音が鳴った。ジュンジュンは
「先程もね、たまごっちが鳴ったので取り上げたんです。没収されたくなければ音を消す!」
そう言ってポケットからたまごっちを取り出すと困ったように笑った。何人かの生徒がカバンの中にそっと手を伸ばした。ピーピー。3度目の音が鳴った次の瞬間だった。
「誰だ!」
突然、ジュンジュンが大声で怒鳴った。その豹変ぶりに私たちは驚き、教室は静まり返った。
「いい加減にしろよ、名乗り出るまで授業しないぞ」
一番前のヤンキーが面倒臭そうにジュンジュンを睨んだ。すると
「お前か?」
ジュンジュンはヤンキーの胸ぐらを掴むと、彼を窓側の席まで連れて行った。そして
「俺の前いた学校は窓ガラスが1枚も無かったんだよ。何でか分かるか?生徒が割っちゃうんだよ!」
と言って窓ガラスを激しく叩いた。再び静まり返る教室。そして4度目のピーピー。マジで誰だよ、頼むから名乗り出てくれよ……と皆が願う中、1人の女子生徒が手を挙げた。
「あの……先生が没収したたまごっちじゃないですか?」
生徒全員がハッと息を飲んだ。するとジュンジュンは
「……なら、貴女が鳴らさないようにしなさいよ!」
顔を真っ赤にしてその女子生徒にたまごっちを押し付けると、私たちに背を向け一切こちらを見ずに授業を再開した。その日以降「ジュンジュン」と呼ぶ者はいなくなった。
ちなみにジュンジュンのたまごっち。めちゃくちゃウンチしてて死ぬ直前だったと、その女子生徒が笑いながら教えてくれた。