広辞苑には無数の言葉が溢れている。その中には、誰しもが抱える情けない過去や恥ずかしい思い出が蘇る言葉が沢山閉じ込められている。私はそんな言葉たちを探して切り絵を施し、過去の自分と向き合っている。消し去りたかった記憶も、大人になってから友人に話すことで「切ないねー」と笑ってもらえる。そこでようやく当時の私は救われるのだ。皆様にも、この作品達のように切なく笑って読んでいただけたら嬉しく思う。
《サイン》
大学時代、私は居心地の良かったコンビニのアルバイトのシフトを減らし、映画館でアルバイトを始めた。時給は低かったが、ずっと憧れていた場所で働いてみたいと思っていたからだ。映画好きな仲間が出来るかも......と期待したが、実際は古くからいるお局様たちが牛耳る職場だった。
お局様たちは映画好きという訳でも無く、むしろ映画好きなスタッフを「オタク」と揶揄した。休憩室ではお局様たちの盛れてるプリクラ交換会と、ダイエットサプリのチラシが飛び交い、共同購入者にならないと「あの子は美に興味が無いから」と陰口を叩かれた。
人間関係は最悪だったが、無料で映画を観れる特典はやはり魅力的だった。もうすぐ私の好きな監督の新作も上映されるし、我慢してシフトを入れた。
ある日、その監督がふらっと映画館にやって来たのである。色味や音響の確認で監督が直々に来ることは時々あるそうだが、私は突然のことで大興奮した。そして公開初日に買ったパンフレットを取りに休憩室まで走って戻った。途中、すれ違ったお局様に「タナカちゃん、どこ行くの?」の声をかけられたが、笑って誤魔化した。
チェックを終え館内から出て来た監督を呼び止め、パンフレットにサインをお願いすると、監督は「こんなこと初めてだな」と快諾し、少し談笑もさせていただいた。憧れの監督と話が出来、私は有頂天だった。
その夜、私は社員に呼び出されこっぴどく叱られた。この年で怒鳴られることがあるのかと、恥ずかしさで泣きそうになった。お局様たちからは「オタクよりヤバい奴」と評され、私は居づらくなって映画館を辞めた。
結局、コンビニのアルバイトに出戻ったのだが、そこで私はお局様扱いされるようになるのだった。