広辞苑には無数の言葉が溢れている。その中には、誰しもが抱える情けない過去や恥ずかしい思い出が蘇る言葉が沢山閉じ込められている。私はそんな言葉たちを探して切り絵を施し、過去の自分と向き合っている。消し去りたかった記憶も、大人になってから友人に話すことで「切ないねー」と笑ってもらえる。そこでようやく当時の私は救われるのだ。皆様にも、この作品達のように切なく笑って読んでいただけたら嬉しく思う。
《電話》
私は心配性である。いらぬ心配をしては妄想を暴走させ、無駄に不安になることが多い。
妊娠中は、お腹の中の子が閉所恐怖症だったら......と心配し、娘が生まれてからは、娘の寝ている隙にシャワーを浴びた際、「もし窓から鳥が入って来て、娘の目を突いたら......」と考え出したら止まらなくなり、全裸で家中の窓を確認しに走ったこともあった。
思い返せば「そんなバカな」と思うことばかりだが、当時は本気で心配していた。
振り返ると私の心配性は子どもの頃からだった。そんな私の最も苦手とするもの、それが"電話"だった。顔の見えない相手と話をするなんて......と不安の妄想は尽きなかった。
双子の妹も同様に電話が苦手だったため、母トシエに「いい加減、電話に慣れなさい」としょっちゅう言われていた。
そんなある日のこと。小学校から帰ってくると、トシエの置き手紙が食卓に貼られていた。
「ご近所さんの家に行ってます。学校から帰ったら電話ください。」
私と妹は受話器を持ったまま、固まった。
「もしもさ......ご近所さんの番号を間違えちゃって知らない外国人の家にかかったらどうする?」
「その人がものすごい早さの英語で話してきたらどうする?」
「その内容が"あなたの家にヒツジを100匹送りますね"だったらどうする?」
「分からずに"YES"って答えちゃったらどうする?」
「家にヒツジが100匹届いちゃうね」
「それは困るよ」
私たちは電話をかけないことにした。
その夜、帰ってきたトシエから電話しなかったことをこっぴどく叱られたのだが、家に100匹のヒツジが届くぐらいなら叱られる方が全然マシだった。それ以降も何かと理由をつけては、電話を避ける日々が続いた。
月日は経ち、娘は今年小学生になったが、私はやっぱり色々と心配している。電話も相変わらず苦手である。