広辞苑には無数の言葉が溢れている。その中には、誰しもが抱える情けない過去や恥ずかしい思い出が蘇る言葉が沢山閉じ込められている。私はそんな言葉たちを探して切り絵を施し、過去の自分と向き合っている。消し去りたかった記憶も、大人になってから友人に話すことで「切ないねー」と笑ってもらえる。そこでようやく当時の私は救われるのだ。皆様にも、この作品達のように切なく笑って読んでいただけたら嬉しく思う。
《かしこ》
小学生の頃、家族の手紙をポストに投函することが私と妹の役目だった。よく行く公園の前にポストがあったため、遊びに行くついでに出していた。
ある日のこと。いつものように母トシエから「手紙出しといて」と言われたので、玄関に置いてあったハガキを持って公園に出かけた。エレベーターの中で何の気無しに文面を見た瞬間、私と妹は固まった。
トシエが書いた文章の最後に"かしこ"と書かれていたのだ。
「ねぇ、ここに書いてあるのって名前だよね?」
「えっ……お母さんの本当の名前は"かしこ"ってこと?」
私と妹は急に母の存在が遠くなった気がして怖くなった。知らない母が存在している……私たちの妄想が暴走した。
難しい漢字だらけで手紙の内容はよく分からなかったが、"お子さん"や"会いたいね"といったワードを読み取った私たちは、母には他に子どもがいるんじゃないかと考えた。
トシエ、もとい"かしこ"は時々こうしてハガキで別の場所に住む子どもと連絡を取り合っていて、近々、その子どもと一緒に住む計画を立てているに違いない……私たちの妄想は止まらなかった。
公園に着く頃には自然と涙が出て来て、私たちはわんわん泣いた。母トシエが他の子どもの元へ行ってしまうかもしれない。そう思ったら悲しくて悲しくて辛かった。
しばらくして約束していた友人が来て一緒に缶蹴りをしたが、私と妹は上の空だった。
結局そのハガキは出せないまま帰宅した。
泣き腫らした目で母トシエにハガキを見せた私たちは、その後、家族から大笑いされるのだった。
最終回に寄せて
読者の皆様へ
コラムを読んでくださり、マコトにありがとうございました。
2年間も連載をさせていただくと、感想をいただく機会が度々ございました。 その中で「笑いに変えられることが羨ましい。私には笑いに昇華出来ない思い出があります」といった感想をいただくことがありました。
実を言うと、私にもまだまだネタに出来ない思い出が沢山あります。 時々、記憶の蓋を開けては「ダメだ……まだ全然恥ずかしい……」と、そっと蓋を閉じる確認 作業を繰り返しています。
人間、生きていれば必ず経験する失敗や苦い思い出。
そろそろ昇華出来るかな……そう思えた時に、またどこかで発表出来たらなと思います。 いつの日か、皆様に笑っていただけますように。
かしこ